14 2月 「愛の洗礼」 人生、走り抜けてゆく私を感じる。 そんな人間が「閑雲野鶴(かんうんやかく)」のたとえにあるように、なにものにも束縛されずに自然の中でゆうゆうと暮らす、そんな生活に憧れる歳になったのかと思う今日この頃。 しかし、この世に「生」が与えられた人間として等しく平等に自然体への洗礼を受ける。誰もが…。 つまり、避けて通れない試練を体験する命がそこにある。 それが練達への道標となり、あなたと私が祈る世界を実現するだろう。